私は自分自身にはいっさいそんな話はないのに、友人から恋バナというか悩みを聞かされることがままあるのである。私にはあずかり知らぬことゆえ、ただひたすら「羨ましい!」と思うだけなのである。幽霊でもいい、そんな対象が目の前にあらわれてくれたらなあとサミシク星空を眺めるのである。
とはいっても私はまだまだ食い気のほうがはっていて、ついつい目の前のごちそうに目がくらんでいろいろと注文してしまうのであった(笑)。
私は自分自身にはいっさいそんな話はないのに、友人から恋バナというか悩みを聞かされることがままあるのである。私にはあずかり知らぬことゆえ、ただひたすら「羨ましい!」と思うだけなのである。幽霊でもいい、そんな対象が目の前にあらわれてくれたらなあとサミシク星空を眺めるのである。
とはいっても私はまだまだ食い気のほうがはっていて、ついつい目の前のごちそうに目がくらんでいろいろと注文してしまうのであった(笑)。
電話代って高かったよなあとふと思い出しました。
だけど、しがらみや利害関係のない世界が広がっていて居心地よかったような。
ネットが社会基盤となったいま、それはめでたいことではあるけれどガサツな私にはかたぐるしさを感じてしまう。まあ、それも生きていくうえでの枷と思えばそれぐらいなんともという姿勢が大人というものだろうけど。陰鬱者の私はどこにいたらいいんだろ(笑)。
「君たちはどう生きるか」観ました。このタイトルの書物を母親が主人公の男の子に贈っていたんですね。
時代は第二次世界大戦。もちろんぼくは生まれてないわけだけど、なんとなく戦前の世界に憧れてしまうような情景。戦後教育で育って戦前はだひたすら暗いだけの時代というイメージがあったが、「この世界の片隅で」でもそうであったように日々の生活というものはあったわけで、そこにはには暗いとか明るいとか言ったこととは次元の違う暮らしがあったのかなあと思います。
たくさんの書物が画かれていたりして感想としては、この夢の世界に入っていたい、現実の社会のなかで生活なんてくたびれることだよなあなどと大きなスクリーンを見上げてそんなふうに浸ってました。
足半と書いて「あしなか」と読むのだそうだ。ユーチューブの「魔法のあるき方」という項目を視ていたら出てきた。これは良さそう。足の踵と親指を支点にして歩くと思っていたらそうではなくて親指は浮かすらしい。そのための補助道具となるようだ。これは知らなかった。到着を楽しみに待つのであった。